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2011年7月28日 (木)

上磯町

 上磯町では町民に2人の死者が出た。空襲時に茂別警防団副団長を務めていた方が「昭和二十年七月 茂辺地空襲状況調査」 という一文を残しており、亡くなった2人の死体検案書がその中に収録されている。


 また、上磯町沖合では、駆逐艦「橘」がグラマン機と交戦し、乗員280名のうち135名が戦死、5名が戦傷死した。『平和を見つめて-上磯からの証言』(上磯地方史研究会)に元艦長が、海戦の模様を寄稿している。


 それによれば、14日午前5時40分頃から対空戦闘を開始、函館市上空に乱舞しているグラマン機に主砲の射撃を開始した。しかし、6時40分に機械室に爆弾が命中、航行不能となった。6時50分には爆弾が艦後部に命中し、艦は瞬時に右に大傾斜し、海中に没していった。海上に放り出された生存者たちは約2時間の漂流後に漁船に救助された。重傷者約30名は函館病院に送られ、軽傷者約50名は茂辺地の病院で治療を受けた。戦死者の葬儀は7月末に函館山のお寺で行われたらしい。1956(昭和31)年から1957(昭和32)年にかけて橘の浮揚作業が行われ、船内から80体分の遺骨が収容された。この遺骨は函館市内の極楽寺に安置されているという。



  『平和を見つめて-上磯からの証言』には戦死者135名の名前が収録されているが、病院で亡くなった5名の名前が載っていない。うち1名だけは本調査で判明したものの、あとの4名は明らかに出来なかった。


【上磯空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間人2、船員1、軍人136
 氏名不明・・・民間人0、船員0、軍人  4



【主要参考文献】

・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・上磯地方史研究会『平和を見つめて-上磯からの証言』(1995年)
・戦争と平和展実行委員会『戦争と上磯町』(1984年)

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