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2011年7月23日 (土)

これまでの調査

 1945(昭和20)年からの25年間は空襲や戦災を記録しようという風潮は全国的にほとんど見られなかった。しかし、1970(昭和45)年に「東京空襲を記録する会」が誕生したことがきっかけとなって、空襲を記録しようという運動が全国各地で起こり始めた 。

 北海道では、1971(昭和46)年に他地方に先駆けて釧路戦災記録会が発足、1972(昭和47)年から1974(昭和49)年にかけて、全3巻の『釧路空襲』を発刊した。

 それに続いて、その他の市町村においても、各々の空襲が調査・記録されるようになった。網走市・本別町・函館市・根室市・白糠町・石狩市・十勝地方・噴火湾・国鉄・青函連絡船などへの空襲が、各地の団体・個人によって調査され、書籍となっている。

 空襲だけを扱った出版物の形はとらなくとも、各市町村史の中には空襲に関する記述に多くを割いているところもある。各地の郷土研究誌などにも、空襲に関する論文が多数発表されている。

 全道の空襲被害を網羅しようとする試みも行われてきた。初めてそれに挑戦したのは『ハマナスのかげで-1945年・北海道空襲の記録』(1979年)である。当時判明していた29市町村(平成の大合併前)と青函連絡船での犠牲者数が示されており、それぞれ1183人、412人で、合計すると1595人となる。

 1980(昭和55)年に、全国の空襲被害をまとめた『日本の空襲』(全10巻)が出版された。第1巻では北海道を取り上げており、北海道空襲の犠牲者数は906人とされている(青函連絡船は含まず)。

 1995(平成7)年、菊地慶一著『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』が出版された。この著作によって初めて北海道空襲の全体像が明らかにされた。それによると、檜山地方・宗谷地方を除く全道各地、すなわち78市町村に空襲があり、そのうち56市町村で死者1496人が出たことが判明した。青函連絡船の犠牲者数429人を足して、1925人が北海道空襲により亡くなったとしている。

 その後、2007(平成19)年には改訂版となる『語りつぐ北海道空襲』を発刊、犠牲者も数えなおし、57市町村と青函連絡船で犠牲者数1958人という数字を出している。

 一方、松本尚志氏が2006(平成18)年に発表した報告(『証言 帯広空襲 第四集』)を見ると、50市町村で犠牲者1338人が出たとしており、青函連絡船の犠牲者477人とあわせると全体では1815人となる 。

 しかし、これらの全道的な調査においても、北海道空襲全体の犠牲者を名簿にまとめるまでには至っていなかった。したがって、2000人近い数字のうち、何人の名前が分かっているのかという基本的なことすら不明のままになっていた。

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