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2011年7月25日 (月)

松前町

 松前町では7月14日に2回の空襲があった。

 『松前町史 通史編第二巻』によると、陸上では民家に機銃弾が当たった程度ですんだが、沖合にいた船舶6隻が座礁・沈没した。15人程度の船員が亡くなり、その多くは小樽海員養成所を出たばかりの青年だったとされているが、氏名は書かれていない

 『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』は、1949(昭和24)年に松前町の役場が焼けた際に書類が失われたために、死者や負傷者の氏名が分からないのではと推測している。

 松前沖で空襲を受けたのは次の船舶である 。
 温州丸(大阪商船、1185総トン)は松前付近の折戸で擱座沈没した。第七和平丸(161総トン)は松前港で攫座した。第十三共同丸(北海船舶、1999総トン)は松前付近で攫座沈没した。下総丸(大阪商船、887総トン)は白神岬南西8キロで沈没した。大征丸(大洋海運、884総トン)は松前付近で沈没した。正●丸(大洋汽船、990総トン)は松前港で沈没した(●は目へんに右)。

 アジア歴史資料センター(http://www.jacar.go.jp/)の資料を検索したところ、大阪商船所属の2隻、温州丸と下総丸の事故報告書が残されていることが判明した。

 「温州丸事故報告書」 によれば、温州丸は第二公福丸・第十三共同丸と船団を組み、小樽港から伏木港に向かう途中、空襲を受けた。船長と船員1人がその日のうちに亡くなり、船員1人が後日函館中央病院で亡くなっている。

 「下総丸事故報告書」 によれば、下総丸は白米490俵などを積載し、13日に函館港外仮泊地を抜錨し、単独で小樽港に向かった。14日朝に艦載機2機から攻撃され、続いて10数機の反復攻撃を受けた。船橋で指揮していた船長は機銃掃射により死亡、船員2人も亡くなった。

 大征丸については詳細な報告は未発見であるが、『戦時船舶史』によると、松前付近において空爆を受け沈没し、船員7名が戦死とされる。『戦没船員名簿』を調べたところ、5名の氏名を発見出来た。

 また、正●丸が空襲を受け、船長が亡くなった顛末について、『松前町史 通史編第二巻』に二等機関士の証言が詳しく記述されている。それによると、7隻の船団で函館から小樽に向かう途中、14日7時30分に空襲を受けたという。しかし、この船が空襲を受けたことを記録した資料は他に見当たらない。それどころか、船名録の類においても該当する船は見つからない。かなり疑問の多い船と言える。

 第七和平丸・第十三共同丸で死者が出たと書いている資料は見つからなかった。


【松前空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間人0、船員11、軍人0
 氏名不明・・・民間人0、船員 3、軍人0


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・松前町史編集室『松前町史通説編 第二巻』(松前町,1993年)
・駒宮真七郎『戦時船舶史』(1991年)
・戦没船員の碑建立会『戦没船員名簿』(1972年)
・JACAR(アジア歴史資料センター),Ref.C08050118900.「温州丸事故報告書」.『戦争による遭難船舶事故・海難報告書 (1)あ~し 昭和17年6月~20年7月(3)』,防衛省防衛研究所所蔵
・JACAR(アジア歴史資料センター),Ref.C08050119200.「下総丸事故報告書」.『戦争による遭難船舶事故・海難報告書 (1)あ~し 昭和17年6月~20年7月(6)』,防衛省防衛研究所所蔵

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