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2011年9月25日 (日)

根室市

 根室市は14日・15日の両日に空襲を受け、多くの市民が犠牲となった。この空襲については、根室空襲研究会が精力的な調査を行っている。その成果である『根室空襲』には、年齢・住所・死因・被災場所などを記した詳細な犠牲者名簿が収録されている。


 根室空襲研究会の調査では、根室関係の死亡者が210人、船舶関係の軍属・民間人の死亡者・行方不明者が106人確認されている。この他に、軍徴傭船の乗組員の死亡者・行方不明者がいるので、根室空襲全体の犠牲者は400人を超えると同研究会は推定している。


 根室空襲研究会作成の犠牲者名簿を確認したところ、根室関係の死亡者210人のうち、根室市内の陸上で亡くなったのは196人であった。そのうちの1人は氏名不明である。また、名簿には名前がないものの、『根室空襲』に収録された証言から1人の氏名が本調査で判明した。


 根室関係の死亡者210人のうち、海上で亡くなったのは14人である。さらにこのうち4人は小舟に乗っており、残りの10人は浦河丸の乗客であった。本調査では、小舟に乗っていた1人の名前が『根室空襲』の名簿にないと分かったので、新しく記載した。


 根室空襲では浦河丸(東邦水産、343総トン)と東裕丸(飯野海運、1256総トン)という2隻の大きな船舶が沈没した。


 浦河丸は15日に攻撃され、根室港弁天島沖で沈没した。択捉漁業株式会社の社員2名、労務者88名、その家族2名、一般乗客10名、乗組員6名、船舶警戒隊員1名、合計109名が死亡または行方不明となった。一部の乗組員は『根室空襲』で不明とされていたが、『戦没船員名簿』などをあたることにより、氏名が判明した。


 東裕丸は14日・15日と連日の攻撃を受け、根室春国岱沖5キロで沈没した。『戦時船舶史』によれば、船員23名、陸軍船砲隊23名が亡くなったとされる。一方、『根室空襲』によると、地元では79名死亡説が伝わってきたという。『根室空襲』には死亡した26名の船員、6名の船砲隊員の名前が収録されている。本調査で、『戦没船員名簿』をあたったところ、さらに1名の船員の名前を確認できた。また、各地の戦没者名簿を確認した結果、根室港外で亡くなったという船舶機関砲兵第2連隊所属の陸軍兵2人、暁6179部隊所属の陸軍兵2人が見つかった。部隊名から東裕丸に乗船していた可能性が高いと思われる。以上から、船員27名・船砲隊員10名の氏名が明らかとなった 。


 根室では他にも犠牲となった人がいた。『戦没船員名簿』や各地の戦没者名簿から船員や軍人・軍属の名前24人を拾い出すことが出来た。『根室空襲』によれば、米軍が上空から撮影した根室港の写真には幾つもの船影が写っており、相当数の船舶が入港していたと思われるという。これらの船舶に乗っていた人も含まれるだろう。また、陸上でやられた陸軍兵もいたと思われる。


【根室空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間305、船員45、軍人23
 氏名不明・・・民間  1、船員 0、軍人18


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・根室空襲研究会『根室空襲』(1993年)
・戦没船員の碑建立会『戦没船員名簿』(1972年)
・駒宮真七郎『戦時船舶史』(1991年)

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