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2011年9月28日 (水)

青函連絡船

 本州と北海道を結ぶ大動脈であった青函連絡船は14日と15日の空襲で全滅した。


 14日は、翔鳳丸が青森港内、飛鸞丸・第二青函丸が青森港外で沈没した。松前丸は七重浜で座礁し炎上した。津軽丸は狐越岬沖で沈没した。第三青函丸は矢越岬沖で、第四青函丸は葛登支岬沖で沈没した。第六青函丸は野内沖で座礁した。第十青函丸は函館港外で沈没した。第七青函丸・第八青函丸は函館港内で損傷を受けた。


 15日は、第一青函丸が三厩港灯台の東1キロ付近で沈没した。


 この空襲により、多くの乗員・乗客が亡くなった。しかし、死亡者数は資料によってばらばらとなっている。例えば、『青函連絡船史』(青函船舶鉄道管理局,1970年)では乗員346人・乗客52人・船舶警戒隊員27人、合計425人が亡くなったとされる。『白い航跡 青函連絡船戦災史』では430人が亡くなったとされる。他にも、412人(『ハマナスのかげで』)、429人(坂本幸四郎『青函連絡船』)、477人(松本尚志(『証言帯広空襲 第四集』))という説があり、いったいどれが正しいのか分からない。


 青函連絡船の犠牲者については、複数の名簿がある。本調査では、『白い航跡』『戦没船員名簿』『青函連絡船殉難者名簿』および函館市内の慰霊碑に刻まれた「青函連絡船殉職者氏名」という4種の名簿に当たった。



 乗客の犠牲が出たのは津軽丸のみであった。『昭和二十年青函連絡船戦災記録』に収録されている「津軽丸戦災ニヨル遭難旅客概況」によれば、乗客の行方不明者は52名で、その他に1人の陸軍兵が海上で乗り込んでいる。『白い航跡』ではこのうち6人の氏名が明らかにされているが、大半の死者については氏名不明のままであった。今回の調査では、各地の市町村史などを確認し、4名の乗客名を見つけた。


 『白い航跡』の名簿によれば、第四青函丸と第五青函丸以外の船には船舶警戒隊員が乗り組んでいた。死者・行方不明者を数えると、従来言われてきた27名ではなく28名の犠牲が出ている。


 明らかになった犠牲者を数えたところ、乗員349人、乗客53人(途中乗船1人含む)、船舶警戒隊員28人、合計430人となった。船舶別では、翔鳳丸48人、飛鸞丸32人、津軽丸134人、松前丸28人、第二青函丸26人、第三青函丸71人、第四青函丸54人、第六青函丸37人である。



【青函連絡船空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間 7、船員349、軍人30
 氏名不明・・・民間44、船員  0、軍人 0


【主要参考文献】
・青函連絡船戦災史編集委員会『白い航跡 青函連絡船戦災史』(青森空襲を記録する会,1995年)
・荒木善之『昭和二十年青函連絡船戦災記録』(1965年)
・昭和20年青函連絡船遺族会『青函連絡船殉難者名簿』(1966年)
・坂本幸四郎『わが青春の青函連絡船』(光人社,1989年)
・昭和20年青函連絡船遺族会『札幌鉄道教習所函館船員養成所設置概要と第四期生遭難に関する事後処理記録』(1984年)
・葛西常利『国鉄青函連絡船大沼第四期生空襲殉難の記』(1983年)

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