胆振

2011年8月10日 (水)

厚真町

 厚真町には14日・15日の両日に空襲があった。


 14日には浜厚真の漁場主と漁民が機銃掃射を受け死亡した。ともに氏名は判明している。

 15日には浜厚真の沖合で、駐屯部隊の漁労班乗り込みの漁船が攻撃された。この時2人の兵士が即死しているが、『厚真村史』『北海道空襲』などには氏名は掲載されていない。


【厚真空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間2、船員0、軍人1
 氏名不明・・・民間0、船員0、軍人1


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・厚真村広報委員会『厚真村史』(厚真村,1956年)

2011年8月 9日 (火)

苫小牧市

 苫小牧市では14日・15日に空襲があった。


 14日の空襲では、ニシタップ浜(現錦岡)で漁に出ていた漁民が4人空襲に遭い、亡くなった。また、苫小牧駐屯部隊が漁場に派遣していた兵士が1人亡くなったが、名前は不明である。


 また、論文「1945.7.14・15~苫小牧の空襲・戦後50年を考える~」によれば、王子製紙工場前にあった防空監視塔で14日に軍人が全身に銃撃を受け死亡したとされる。この事実を記している資料・文献は他には見つからなかった。


 15日には航空機乗員の犠牲者が出ている。四式爆撃機「飛龍」(キ-67)が樺太落合から長野県松本に向かう途中に千歳上空でグラマンの攻撃を受け、苫小牧市柏原の雑木林に墜落し、乗員7名のうち6名が死亡した。北海道空襲で日本軍の航空機が攻撃され墜落した唯一の事例であった。現地には「六勇士戦死の碑」が建てられ、いまでも地元の人たちによって慰霊されている。


【苫小牧空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間4、船員0、軍人6
 氏名不明・・・民間0、船員0、軍人2


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・髙橋稔『とまこまいの石碑』(苫小牧郷土文化研究会,2001年)

2011年8月 8日 (月)

室蘭市

 室蘭市では、14日に空襲、15日に艦砲射撃があった。北海道で艦砲射撃を受けたのは室蘭市のみだった。両日あわせての犠牲者数は道内一となっている。


 犠牲者の数は資料によって異なっている。1949(昭和24)年に経済安定本部が発表した「太平洋戦争による我国の被害総合報告書」によれば393人、アメリカの国立公文書館に保管されている室蘭市戦災関係文書によれば439人とされている 。これらの人数に軍関係者は含まれていないという。また、根拠となる資料もはっきりしていない。


 室蘭への空襲・艦砲射撃で犠牲になった民間人については『室蘭戦災誌』巻末に340人の氏名が掲載されている 。 


 本調査においては、軍人・船員についても可能な限り資料を探索し、犠牲者名の収集に努めた。


 14日の室蘭は、港内にいた船舶への攻撃が繰り広げられた。第65号海防艦(810排水トン)と第74号海防艦(900排水トン)が撃沈され、乗り組んでいた海軍兵約200名ずつのうち、それぞれ27人と23人が亡くなっている。これらの人たちの氏名は『海防艦戦記』に明記されていることから名簿に収録できた。


 また、特設運送船・第一雲洋丸(2039総トン)が京浜港への出港準備中に空襲に遭った。『新室蘭市史 第4巻』によると、艦長ら数十人が戦死とされているが、正確な人数は記載されていない。しかし、本調査では、室蘭港で戦死したとされる海軍兵が何人か見つかった。これらの人たちが第一雲洋丸に乗り組んでいた可能性はある。


 その他に小さな船舶が多く沈められ、船員が亡くなっている。佐賀丸(198総トン)では3人、長栄丸(138総トン)では3人、第3幸運丸(196総トン)では4人、第23北隆丸(155総トン)では5人、明正丸(181総トン)では1人の死者が出た。これらの人たちの名は『戦没船員名簿』から明らかになった。


 空襲は海上が中心であったが、陸上にも被害が出ている。『新室蘭市史 第4巻』では6人または12人の民間人が亡くなったとされている。今回の調査において、14日の攻撃により亡くなったと断言できる民間人は2名のみであった。


 15日、室蘭市には大規模な艦砲射撃が行われた。戦艦アイオワ・ウイスコンシン・ミズーリという3隻の戦艦から日鋼に向けて16インチ砲弾414発が発射された。日鉄には446発が発射された 。この攻撃により、日鋼・日鉄社員のほか、周辺の住宅も大きな被害を受け、多数の一般市民が亡くなった。


 『室蘭戦災誌』には、空襲・艦砲射撃の犠牲となった人たちの氏名が収録されているが、年齢や死因・死亡日などは記載されていない。大部分の人たちは15日の艦砲射撃により亡くなったと思われる。しかし、死亡日を断定するに至らない人が大半である。


 『室蘭戦災誌』によれば、日鋼関係者は112名が亡くなっている。一方、名簿には120名が登載されている。部外の人が8名混じっているとのことである。


 日鉄関係者は182名が亡くなったとされるが、『室蘭戦災誌』の名簿には98名の名前しかない。すなわち84名が氏名不詳となっている。本調査で、日鉄関係者の名前が3名新しく判明したが、それでも81名の氏名が不明のままである。


 その他、北海道新聞・室蘭民報の艦砲射撃関連記事や市民の自分史、学校史、各地の戦没者名簿などで犠牲者に関する記述を探し、名簿に反映させた。しかし、室蘭市の犠牲者はあまりにも多く、情報のない方が大半であったため、「?」を十分に埋めることが出来ないまま調査を終えることになった。


【室蘭空襲および艦砲射撃の犠牲者】
 氏名判明:民間355、船員16、軍人59
 氏名不明:民間 87、船員 1、軍人 5


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・室蘭地方史研究会『室蘭戦災誌-空襲と艦砲射撃の記録』(室蘭市教育委員会,1983年)
・室蘭地方史研究会『室蘭地方史研究』第11号(1977年)
・室蘭地方史研究会『室蘭地方史研究』第13号(1979年)
・室蘭地方史研究会『茂呂瀾 室蘭地方史研究』第30号(1995年)
・富盛菊枝『いたどり谷にきえたふたり』(太平出版社,1985年)
・北海道室蘭商業高等学校『室商五十年のあゆみ』(1974年)
・室蘭栄高等学校創立80周年記念協賛会『北海道室蘭栄高等学校創立80周年記念誌 栄えよわれらが母校』
・宮川績『太平洋浪高し』(到知出版,1990年)
・真宗大谷派東圓山廣徳寺沿革誌編集委員会『光炎-真宗大谷派東圓山廣徳寺沿革誌』(1992年)
・道南バス株式会社『道南バス四十年史』(1966年)

2011年8月 7日 (日)

伊達市

 伊達市への空襲は14日にあった。攻撃されたのは伊達赤十字病院・稀府病院・伊達紋別駅などであった。


 伊達市の地域情報紙『とりっくすたあ』に伊達空襲の特集が組まれたことがあった。そこでは、赤十字病院に残されていた戦災関係者の書類から死亡者の氏名や攻撃を受けた場所などが明らかにされている。病院への空襲による死者は4名で、看護婦・看護学生・入院患者がやられている。


 稀府駅への空襲による死者は15名であった。函館発稚内行きの第307列車(函館発稚内行き)が攻撃され、国鉄職員や旅客が犠牲となった。伊達紋別駅への空襲による死者は2名であり、駅助役と寮賄い婦が亡くなっている。


 これら以外にも犠牲者が出たという資料もある。『新室蘭市史 第4巻』には、黄金駅で函館発稚内行きの客第305列車が空襲され、4名が死亡したとされている。しかし、この空襲についての記録は他には見当たらない。また、当時の時刻表には第305列車という名前はない。稀府駅の第307列車への空襲と混同しているのではないだろうか 。


【伊達空襲の犠牲者】
 氏名判明:民間19、船員0、軍人1
 氏名不明:民間 1、船員0、軍人0


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・トリックスター出版「特集 伊達空襲in1945.7.14」,『とりっくすたあ』,第9号,1985年
・伊達郷土史研究会『伊達の風土』第13号(1994年)
・日本赤十字社北海道支部『北海道の赤十字 その百年』(1987年)

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