留萌

2011年8月31日 (水)

留萌市

 留萌市では15日に空襲があった。

 

 『ハマナスのかげで』によると、国鉄機関助士と貨物船大源丸の乗組員が亡くなった。この乗組員については、『戦没船員名簿』に該当者が見当たらず、氏名を判明させることは出来なかった。


 これまではこの2名のみが留萌空襲の犠牲者だとされてきたが、『悲しみの夏-語りつぐ北海道空襲補遺Ⅰ』によれば、留萌町立病院の入院患者が避難した防空壕の中で亡くなったという。また、一人の陸軍兵が腹部を撃たれて留萌町立病院に運ばれ、開腹手術により弾丸を取り出したが、死亡したとのことである。


【留萌空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間2、船員0、軍人0
 氏名不明・・・民間0、船員1、軍人1


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・先生のつづる戦争の記録刊行会『ハマナスのかげで-1945年・北海道空襲の記録』(北書房,1979年)
・北海道空襲を記録する会『悲しみの夏-語りつぐ北海道空襲補遺Ⅰ』(2010年)

2011年8月26日 (金)

増毛町

 増毛町は15日に空襲を受けた。雄冬に爆弾16発が投下されたが、陸上では死者はなかった。


 一方、海上では犠牲者が出た。『北海道空襲』には「遺体がうんざりするくらい上がった」という証言が収録されている。『増毛町史』にも七洋丸・大正丸が爆撃・機銃掃射を受け沈没と書かれている。しかし、その人数や犠牲者名はこれまで明らかにされてこなかった。


 『戦時船舶史』によれば、第一大正丸(日本海洋漁業、605総トン)が雄冬岬沖で沈没し、船員5名が死亡とされる。『戦没船員名簿』を確認したところ、確かに5人の氏名を確認できた。


 同じく『戦時船舶史』によれば、七洋丸(朝鮮郵船、1948総トン)は雄冬岬北北西8キロ付近で空爆を受け沈没しているが、死者の数が書かれていない。『戦没船員名簿』を確認したところ、6人の犠牲者を確認できた。うんざりするほどの遺体という証言からすると、他に軍人などの犠牲者が出ているのかもしれないが、裏付ける資料を見つけることは出来なかった。


【増毛空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間0、船員11、軍人0
 氏名不明・・・民間0、船員 0、軍人0


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・駒宮真七郎『戦時船舶史』(1991年)
・戦没船員の碑建立会『戦没船員名簿』(1972年)

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