十勝

2011年9月12日 (月)

本別町

 本別町には15日に空襲があった。軍事的に重要な地点ではないにもかかわらず、死者40人、全焼家屋299戸という大きな被害を受けた。『記録 本別空襲』に40人の氏名とその最期が詳しく記されている。

 本別がここまでの被害を被った理由を、松本尚志氏が米軍資料を解析することにより明らかにしている 。指定目標だった帯広への攻撃を悪天候により断念した攻撃隊が、雲の切れ目に発見した本別市街を臨機目標として攻撃したというのが真相であった。


【本別空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間40、船員0、軍人0
 氏名不明・・・民間 0、船員0、軍人0


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・本別町図書館『記録 本別空襲』(1983年)
・北海道歴史教育者協議会十勝支部『十勝歴史の窓』,第47号(本別空襲特集号),1983年
・松本尚志「十勝の空襲を追って3 本別は何故空襲されたのか アメリカ海軍文書を分析する」,『トカプチ』,第3号,1990年

2011年9月11日 (日)

音更町

 音更町では14日と15日の両日に空襲があり、15日に農業会の職員2名と農家の娘さん1名が亡くなった。松本尚志氏によって音更空襲の模様は詳しく調査・記録されている 。


【音更空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間3、船員0、軍人0
 氏名不明・・・民間0、船員0、軍人0


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・松本尚志「十勝の空襲を追って4 音更空襲その一 九一部隊の反撃」,『トカプチ』,第4号,1990年
・松本尚志「十勝の空襲を追って5 音更空襲その二 15日、音更市街爆撃を受け多大の損害を被る」,『トカプチ』,第5号,1991年
・松本尚志「十勝の空襲を追って6 音更空襲その三 補遺」,『トカプチ』,第6号,1992年

2011年9月10日 (土)

池田町

 池田町では14日に空襲があった。池田機関区で蒸気機関車が攻撃され、乗務員2名が亡くなった。また、線路そばの防空壕で2人の民間人が機銃掃射を受けて死亡した。


【池田空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間4、船員0、軍人0
 氏名不明・・・民間0、船員0、軍人0


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・池田町『池田町 戦火の追憶』(1995年)

2011年9月 9日 (金)

帯広市

 帯広市は14日・15日の両日にわたって空襲を受けた。14日は死者は出なかったが、15日には5人の死者が出た。このうち3人は16歳から1歳までの兄弟であった。『証言・帯広空襲』に全員の氏名が掲載されている。

 今回、もう1人の犠牲者が見逃されていることに気が付いた。『北海道空襲』の「音更空襲」の項に、音更飛行場の警備隊長の証言が掲載されている。それによれば、空襲時に帯広の官舎にいた妻が退避する際、長女が窒息状態となったという。この人を入れて、帯広空襲の犠牲者は6名とした。


【帯広空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間5、船員0、軍人1
 氏名不明・・・民間0、船員0、軍人0


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・帯広空襲を語る会『証言 帯広空襲』(1995年)
・帯広空襲を語る会『証言 帯広空襲 第四集』(2006年)

2011年9月 8日 (木)

豊頃町

 豊頃町は14日に空襲を受けた。地元の2人が犠牲となっている。『豊頃町遺族誌』『北海道空襲』に2人の氏名と空襲時の状況が記述されている。


【豊頃空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間2、船員0、軍人0
 氏名不明・・・民間0、船員0、軍人0


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・種川一『ああわれふるさとにまみえず-豊頃町遺族誌』(1977年)

2011年9月 7日 (水)

浦幌町

 浦幌町は15日に空襲を受け、民間人3人が亡くなった。松本尚志氏の調査により全員の氏名が判明している。


【浦幌空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間3、船員0、軍人0
 氏名不明・・・民間0、船員0、軍人0


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・松本尚志「十勝の空襲を追って1 浦幌町厚内の空襲」,『トカプチ』,創刊号,1989年

2011年9月 6日 (火)

大樹町

 大樹町には15日に空襲があった。2人の民間人が亡くなっている。


【大樹空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間2、船員0、軍人0
 氏名不明・・・民間0、船員0、軍人0


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・松本尚志「十勝の空襲を追って2 『疎開者某』とされたのは誰か(大樹の空襲)」,『トカプチ』,第2号,1989年

2011年9月 5日 (月)

広尾町

 広尾町には15日に空襲があった。国民学校の生徒が機銃弾を受けて死亡している。


【広尾空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間1、船員0、軍人0
 氏名不明・・・民間0、船員0、軍人0


【主要参考文献】
・菊地慶一『北海道空襲 一九四五年七月十四・十五日の記録』(北海道新聞社,1995年)
・広尾防空監視哨抄史編纂委員会『広尾防空監視哨抄史』(1985年)

無料ブログはココログ