津軽海峡

2011年9月29日 (木)

津軽海峡

 青函連絡船以外にも多くの船が14日・15日に津軽海峡で攻撃を受け、たくさんの人が亡くなった。この事実は、これまでの北海道空襲に関する調査ではほとんど注目されてこなかった。銃後の民間人が命を奪われたことも許されないことではあるが、海上の船員や兵士もほとんど戦う手段もないまま殺されていったことを考えると、空襲の犠牲者として名を記録されるべきであろう。


(a)第219号海防艦
 『戸井町史』に「十五日、瀬田来沖を航行中の海防艦が艦載機に襲われ忽ち撃沈された」とある。このとき海防艦を襲ったグラマン機の一部が戸井町を攻撃したことにより、町民にも犠牲者が出た。しかし、この海防艦の名称も犠牲者の数も書かれていない。「函館空襲を記録する会」の浅利政俊氏がこれに疑問をもって調査を行い、2008(平成20)年に『北海道の船団護衛に尽力した第219号海防艦』という報告を出している。それによると、空襲を受けたのは第219号海防艦(810排水トン)であり、沈没した地点は北緯41度48分、東経140度41分であった。空襲により犠牲となった194名の海軍兵の名前は『海防艦戦記』に収録されている。


(b)第24号掃海艇
 第24号掃海艇(648排水トン)は14日に室蘭、15日に津軽海峡で空襲を受けた。その模様を記した『第52掃海隊第24号掃海艇戦闘詳報』がアジア歴史資料センターで公開されている(Ref.C08030214300)。
 戦闘詳報によれば、14日は午前と午後の二回にわたって室蘭港でグラマン機の攻撃を受けたが、被害はなかった 。
 15日は、敵機の日本海及び陸奥湾への侵入を阻止せよとの命令を受けて、津軽海峡西口に向かった。09時00分頃、汐首岬の沖合でグラマン機の来襲を受け、09時57分に沈没した。負傷者を乗せたカッター・内火艇は繰り返し機銃掃射され、カッター2隻は破壊・沈没した。漂流中の兵員に対しても超低空で機銃掃射が繰り返された。板きれやムシロを頭上に載せていた人だけがグラマン機に発見されず掃射を受けなかった。今回の調査では、このとき亡くなった153人の犠牲者名が判明した。



(c)豊国丸
 特設運送船、豊国丸(1274総トン)は14日に大間崎沖でグラマン機の攻撃を受け沈没し135名が亡くなった。空襲の模様は『日本海軍特務艦豊国丸』や『嗚呼豊国丸』にまとめられている。
 それによれば、豊国丸は14日に八戸港を出港し北上していた。04時30分頃からグラマン機の攻撃を受け始め、津軽海峡に入った11時頃までに戦闘員の大部分が戦死または負傷した。14時頃に大間崎近傍で爆弾3発を被弾し、14時36分に沈没した。
 沈没時に約60名が海上に出たが、多くは波間に沈んだり、潮流に流されて行方不明となった。助かったのは青森県大畑町に流れ着いた12名だけだった。
犠牲者135名の氏名は『嗚呼豊国丸』『豊国丸遺族会と揺れ動く墓標』に収録されている。また、青森県大間崎に豊国丸戦死者忠霊碑が建てられている。


(d)永保丸
 永保丸(北海船舶、741総トン)は14日、汐首岬沖合を航行中に空爆され沈没した。『戦時船舶史』によれば、26人の船員が亡くなっている。『戦没船員名簿』を確認したところ、たしかに26人の名前が見つかった。函館普通海員養成所出身の若者が多い。


(e)朝洋丸
 特設掃海艇、朝洋丸(80総トン)は、13日に函館を出発したあと消息不明となり、空襲により沈没したものだと推測されている(『大湊防備隊戦闘詳報第九号(七月十四、五日敵機動部隊来襲ニ依ル対空戦闘)』)。乗船員全員もしくは大半が亡くなったのではないかと思われるが、死者数について書いた資料が見当たらない。ただ、艇長ら2名が亡くなったことは突き止められた。



(f)その他の船舶
 その他、以下の船舶が津軽海峡で空襲を受け、死者が出たことが分かった。
 ・幸丸(東邦水産、194総トン)・・・13人
 ・阿波丸(1650総トン)・・・5人
 ・第九多聞丸(三井機船、105総トン)・・・1人
 ・第43忠洋丸(栗林機船、110総トン)・・・1人
 ・神悦丸(松村勇、169総トン)・・・1人
 ・敷設特務艇、黒崎(420排水トン)・・・2人
 ・特設掃海艇、第二朝洋丸(80総トン)・・・13人
 ・特設監視艇、第二号明治丸(80総トン)・・・6人+α
 ・特設掃海艇、第三京仁丸(434総トン)・・・
 ・第18榮徳丸(171総トン)・・・2人
 ・平野丸(三井船舶、1232総トン)・・・5人
 ・興隆丸(坂本五郎兵衛、98総トン)・・・3人



【津軽海峡空襲の犠牲者】
 氏名判明・・・民間0、船員60、軍人494
 氏名不明・・・民間0、船員 0、軍人 16


【主要参考文献】
・平井秀松『鳴呼豊国丸』(旧日本海軍特務艦豊国丸慰霊会,1975年)
・高津市三『豊国丸遺族会と揺れ動く墓標』(旧日本海軍特務艦豊国丸遺族会,1998年)
・駒宮真七郎『戦時船舶史』(1991年)
・戦没船員の碑建立会『戦没船員名簿』(1972年)
・野間亘『商船が語る太平洋戦争-商船三井戦時船史』(2004年,再版)
・海防艦顕彰会『海防艦戦記』(1982年)
・松本尚志「1945年7月14-15日北海道・東北空襲による被害艦船一覧 (1)艦船及び汽船の部 (2)機帆船の部」,『トカプチ』,第19号,2008年
・JACAR(アジア歴史資料センター),Ref.C08030453700,大湊防備隊『昭和二十年七月三十日 大湊防備隊戦闘詳報第九号(七月十四、五日敵機動部隊来襲ニ依ル対空戦闘)』(1945年),防衛省防衛研究所所蔵
・JACAR(アジア歴史資料センター),Ref.C08030214300,『第52掃海隊第24号掃海艇戦闘詳報』,防衛省防衛研究所所蔵

無料ブログはココログ